2012年5月14日月曜日

今日は誕生日です

こんばんは。
昨日のチャボ小屋が気になって、つい今日見に行ってしまいました(笑)
昨日は放牧時間(?)だった様で、今日はみんなちゃんと収まって・・・っていうかね、鶏の個体数に対して小屋が狭すぎるんですよ。
柵から首出してるやつの上に乗って首出してるやつとかいて、横から見ると鶏の生首。
やっぱりさ、何十羽も飼うもんじゃないよね。。。


実は、本日私の誕生日です。
もういい歳ですからね。子供もいるし、子供中心の一日には変わりない・・・どころか、今日の午後は子供帰宅→耳鼻科直行→体操教室→小児科で軟膏をもらう→子供夕飯→風呂→大人夕飯
で、今にいたります。
まぁ、特にほしい物も、行きたい所もないし、普段通りである事が一番かもね。
旦那さんからの誕生日プレゼント、外産ビール1ケース。わ~い!!















しかしですね、今日は父を亡くして初めての誕生日なんです。
昨日、後輩が誕生日を迎えたんですが、彼女も昨年お父様を亡くされて・・・でも昨日の誕生日は、マラソン大会に出ていて(生前のお父様は、陸上が好きでした)、楽しそうで、偉いな、頑張ってるなって思いました。

さて、話は戻りますが母がFBに「your parents are always proud of you and LOVE you.」ってメッセージをくれて、思い立って墓参りに行きました。
なんだか悲しい、やっぱり悲しい。
クリスマスも、お正月も、父の誕生日ですらこんなに寂しくなかった。

多分、今までのイベント事は、私だけの特別、じゃなかったからじゃないかと。
父を亡くして初めての誕生日だから、って、そんな事を言ったら、9月3日は父を亡くして初めての日、だったし、9月9日は始めての金曜日だし、毎日が初めてなのに、今日だけ特別なんて事はないのに、って考えながらの墓参りでした。

特に大人になってから、欠かさず、しっかりと言葉で「おめでとう、年取ったな」と言ってくれていた父からの、皮肉たっぷりの祝福を受けられないのが、こんなにも悲しいなんて、と思いながら
の墓参りでした。


せっかくの誕生日に暗くなるなんて、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、根が真面目なので、決して暗くなってるわけじゃないよ、とアピールしてから申し上げます。

人は何を持って「死」を迎えるか、について、断続的に考えています。

いわゆる「死」という形に慣れていない私達は、つい命の灯火を消そうとする本人よりも、指標となるモニターに判断を委ねようと、そちらばかりに目を向けてしまいます。(事実、私は父の亡くなる数時間前に看護師さんにかけあって血圧計を外してもらいました。痛そうだし、ピーピーうるさい)
しかしですね、生きるも死ぬも、機械じゃなくて本人の話なんです。

それで、父の死亡確認後に病室に来てくださった看護師さんの一言が強烈すぎて、未だに上記のテーマについて考えずにいられないんです。

「間に合わずにごめんなさい」(彼女は当日、夜間救急の当直でした)
という旨の言葉がでてくるのかと思ったら

「良かった、まだ、あったかい」

と涙を流して言ったんです。

それを聞いて、遺族である私達が、葬儀屋さんに促されて、まだ「温かい」うちに病室を退出するのは理にかなっていないんじゃないかと思ったんです。

それならば、だんだんに体温が失われていく事を、遺された家族が一緒に感じながら、別れの準備をすべきではないか、と。

病院によってはこの様な形を(湯灌を含む)取っているらしいですね。
確か、癌センターはそうだった、かな?
やるべきだ、と明言はしませんが、私の様に「死後の」という話を信じない者にとっては必要だったのかもしれませんね。

何を持って死を認めるのか、これは個人の価値観に委ねられるべきなんでしょうけど、今の医療システムにおいては少々それをおしつけてしまいがちではないでしょうか。
まぁ、明らかに生体反応がないのに、死後硬直が進んでしまってご遺体の処理ができなくなる程まで「まだ生きている気がします」とへばりつかれても不都合でしょうから、ある一定のラインで死亡の診断を下さなくてはならないのも分かるんですがね。

でもせめて、「後がつかえているから」(ベッドの空きを待っているから)という理由では急がないでほしいですね。

で、結局まとまりの全くないまま、今日はおしまいにします。
32歳、相変わらずの姿勢でいきますので、どうぞ末永くよろしくお願いします☆☆

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